ネット回線の品質が高くなりデバイスも高性能化した今、映画やビデオを見るならVOD(ビデオ・オン・デマンド)が主流になった感がある。だけど未だに物理ディスクのレンタルサービスも残っている。
実店舗は次々と閉店しているが、地方ではまだ地道に生き残ってるところも多い。
レンタルビデオ店
ところで、レンタルビデオ店が昔からメジャーな業態だったのかと言うと答えはNOで、著作権的にアウトに近いグレーゾーンで営業されていた時期がある。ビデオのパッケージにも「レンタル禁止」の表示がされたソフトもあった。
黎明期のレンタルビデオ店は、こじんまりとした小屋みたいな店舗で、怪しい風貌のおっさんがひっそりと営業していたイメージ。
ハッキリとした線引は分からないけど、レンタルビデオ店がメジャーに展開されはじめたのは80年代後半ぐらいからだと思う。権利関係やロイヤリティのシステムがその時期に確立したのだろう。
PCゲームのレンタル
それと時期を同じくして、パソコンソフトのレンタル店なるものがひっそりと運営されていた。いま思えば明らかにアウトだけど。
でも当時の日本はコンピュータのプログラムに、そこまでしっかりした著作権ガードの法整備は、まだなされていなかった。
「ぱそこん倶楽部」PCソフトレンタル店
俺が住んでいた神戸の板宿にも、そんな店があった。店名は「パソコンメイト」
現在運営されている同名のPCショップはたぶん関係ない。
何せ30年前の子供の頃の記憶なので、怪しい部分もあるかとは思うが存在だけはハッキリと覚えている。今となってはほとんど情報が残ってないけど、調べてみると数件ヒットした。
どうやら「ぱそこん倶楽部」というレンタルソフト店が関西の沿線沿いにいくつか存在していたらしい。
思い返せば、同じく神戸の垂水駅近くの雑居ビルに「ぱそこん倶楽部」があった。親戚のおじさんに何度か連れていってもらったことがある。
なんとなく会員証のデザインが似ていた気がするので、同系列だと思う。他には大阪にも数店舗あったらしい。どの店舗も共通しているのは、駅近くの雑居ビルの上階に入居していたこと。うーん怪しい(笑)
ちなみに現在、閉店から30年以上経っているにもかかわらず、板宿のパソコンメイトの看板は当時のまま残っている。画像はGoogleマップからの引用だけど、今もそのままだと思う。寂れた小さな町なのでテナントはいつまでも埋まらない。
2階の鉄板焼きも閉店してしまったらしい。
隣のビルには、今はなき伝説の「板宿模型」があった。悲しい。
「ロンサム・タンク進撃」
俺はパソコンメイトでMSX用ソフト「ロンサム・タンク進撃」というソフトを借りた記憶がある。
不思議なのが、どんなオタクやマニアに話しても「ロンサム・タンク進撃」と言って通じた試しがない。誰も知らないのだ。
今ググるといくつか情報は出てくるけど、10年ほど前は全然出てこなかった(笑)
ひょっとするとレアかもしれない。
ラリーXのような見下ろし型で、敵をかわしながらマップ上にあるフラッグを集めるゲーム。当時はメチャおもしろかった気がするけど今見るとひどいな。
昔のパソコンのメディアと言えばフロッピーディスクを思い浮かべるだろうけど、「ロンサム・タンク進撃」はカセットテープだった。
当時の廉価なメディアといえばテープメディアだった。フロッピーはまだお高い。
「データレコーダー」即ちテープレコーダーをPCにつないでデータの記録再生を行っていた。FAXと同じく「ピーーーーーギャギャギャ・・・」といった感じで、音声帯域に変調する形で記録する。
FAXを知らない人は申し訳ないがググってくれ。
ダブルデッキのテープレコーダーがあれば簡単に複製できた恐ろしい時代。間違ってもコピーを販売しちゃいけないゾ!
「ファミコンランド」時間貸し型店舗
実はこのパソコンメイト、もうひとつの深い闇を抱えていたのである。
それは階段を挟んだ反対側の部屋で、突如「ファミコンランド」なる怪しい店がオープンした。パソコンメイトと経営が同一なのか知る由もないけど、流れからしてたぶん同じだろう。
重ねて言っておくが、これは30年前の話なので現存する同名店とは無関係なのは付け加えておく。
そこには平机と椅子がズラッと並べてあって、等間隔にテレビが置かれていた。しかもそれぞれファミコンが据え付けてある。
つまりは時間貸しで自由にソフトを選んでファミコンをプレイできる店なのだ(爆)
正確に覚えていないが、30分100円ぐらいだったかな。
カウンターの店員に料金を払ってプレイしたいソフトを伝えると、裏にあるラックからカセットが渡される。
あとは好きな座席に着いて時間いっぱいゲームを楽しめる。時はまさに世紀末。
今でもレトロ居酒屋やネカフェなど、ゲーム機を置いてプレイできるようにしている店があるけど、基本的にアウトだからな。値札付けたところで言い訳にならんからな。
でも当時のガキにしてみれば最新ソフトが格安で遊べちゃうわけだから、駄菓子買うのをガマンしてでも行く価値はあった。
今の任天堂様があんなにうるさいのは、こういったお隣の国みたいなビジネスが昔の日本で横行していた過去があってのこと。駄菓子屋に置いてある1プレイ20円のスーパーマリオも中身はファミコンだったな・・・
夢かまぼろしか・・・
ぱそこん倶楽部もファミコンランドも、ググったところで情報が出てこない。
あの光景はいま俺の頭の中にしかない。
当時利用した人はそれなりに居たはずだけど、どうしてこんなにも情報がないのか。
存在を知る者はすべて消されてしまったのか・・・?
((((;゚Д゚))))