これは自分の印象なんだけど、いまどきのラジオを聞く層ってどんな人達なんだろう。
スマホがあればほとんどのコンテンツを視聴できる時代。テレビ離れが加速していると言われる昨今、ラジオはもっと苦しいはず。いまラジオ受信機を買うのはいったいどの層なんだろうか?
俺は思春期をラジオに育ててもらった最後の世代なので、その良さはもちろん理解しているつもり。だけどそれを今の世に向けて伝えようとしても、なかなかうまい言葉が見つからない。
ときどき無性にチューニングを合わせてみたくなるこの気持ちは、もはや天然記念物なのだろうか。
ミニFMってなに?
ミニFMは80~90年代の日本でひそかに流行った個人の放送局。似たところに「コミュニティFM」というローカル放送局があるけど、まったくの別物なので注意。混同している人を稀に見かける。FMを謳ってはいるものの、正式に総務省から認可を受けた放送局ではない。
当たり前だけど新聞に番組表が載っているわけでもなく、広告を打っているわけでもない。だから一般に知られる機会はほとんどない。
今はネットを利用したさまざまなプラットフォームがあるので、個人でも簡単に情報発信することができる。しかしネットが普及する以前は、個人が情報発信する方法なんて皆無だった。いくらお金を積んだとしても。
実は誰でも放送できる
ミニFMの仕組みは小型のFM送信機にミキサーを接続。そこにマイクやレコード、テープなどの音声ソースを入力してDJやパーソナリティになりきる。
それが電波に乗って送出されるので、リスナー側はラジオの周波数を合わせれば本物のFM放送と同じ感覚で受信して番組を楽しむことができる。その内容はネットを使ってやってることとほとんど変わらない。
もちろん電波を扱うからには厳格なルールがある。ネットの世界よりも遥かに厳しい。実際に違法行為で検挙された例もある。
基本的にはワイヤレスマイク程度の出力だから受信できる範囲はせいぜい家の中。法律で厳しく定められているので、基準を逸脱した品質の電波を飛ばせば捕まる。
だけどなぜか数十キロ離れた個人宅からの放送が受信できたりした。うーん不思議()
衝撃的な出会い
俺がミニFMと出会ったのは小学生の頃。暇つぶしにラジオのチューニングつまみをぐるぐる回してワッチしていたときに偶然見つけた。
何だかよく分からないけど、普段聞いてるFM放送とは異質な、スタイリッシュさが感じられないトーク番組が耳に入ってきた。BGMをバックに、おっさんがひとりボソボソと時事ネタ的なことを喋ってる。そのインパクトは自分を夢中にさせるには十分な威力だった。
しかもこの番組、一端の放送局みたくリスナーからお便りを募っていた。曲のリクエスト・番組の感想・個人的な日記・・・とにかく何でもいいからハガキに書いて送れば読み上げてくれる。
もちろんハガキを送るには宛先がわからないと送れないので、番組中に教えてくれる。でもそれはつまり放送している家の住所なのだが・・・。
偶然にも割と遠くないところに住んでいたので、自転車を走らせて見に行った。
放送局という名の・・・
当然そこに放送局なんかあるわけがなく、見えたのは普通の家。少し違和感を感じたのは、屋根の上に大きなFMアンテナが見えた。
ちょっと専門的な話になるけど、日本のFM放送の周波数帯は80MHz周辺(76~90MHz)その1/4波長はだいたい90cmちょっとなので、アンテナエレメントの長さは1メートル近い巨大なものになる。
FMの八木アンテナはテレビのVHFのものより一回り大きい。たった5素子のアンテナでも、屋根の上にあれば結構目立つ。バリバリに存在感を放つ。あの家が普通の民家ではないことは遠目から見ても理解できた。
それからミニFMの世界に引きずり込まれたのは言うまでもない。想像もしなかったことが現実世界で起きていて、自分はその目撃者になったのだから。コロンブスみたいなもん(違)
ミニコミ・ネットワーク
その後は各地に点在するミニFM局探しに没頭した。といっても関西圏のみだけど。
自分が知らなかっただけで、意外とこの世界は広かった。90年代初頭、関西だけでも意外な数のミニFM局が存在していた。そのすべてを直接受信できたわけではないけど、そこはとても画期的なアイデアでカバーされていた。
それぞれ個人の局が、周辺にある他の局を中継し合うことで受信エリアを広げていた。自身の番組がないときは他の局を中継する。
一個人でカバーできる範囲は限られるけど、横のつながりを作ればネットワークになる。そして人が人を呼ぶ。そんなコミュニティがインターネットよりも先にできていたのだから驚き。
自分が知るのは大阪から神戸周辺のエリアだけど、それぞれの局が個性的な番組を作っていて、とても楽しかった。時には中継し合う局同士がそのまま電波の上で会話する「ネットワーク番組?」的なものもあった。いわゆる「ラグチュー」ってやつ。
意外と小さくないコミュニティ
規模はハッキリ分からないけど、大所帯の局ならリスナー数は3桁以上あったとかないとか。リアルイベントも開催されていたと聞く。今のSNSとなんら変わらない。あの時代に「ニッチな趣味」以外でこんな規模のコミュニティがあったことが凄い。当然インターネットはまだ無い時代。
ところでこのミニFM、いまネットで情報を漁ってもほとんど出てこない。あの頃のあの体験はすべて夢か幻だったのか?と思うほど何も出てこない。
まあ、やってることがアングラでグレーゾーンを攻めてたところはあったので、年月が経ってるとはいえ、いま公の場で話すことじゃないんだろうな・・・
だからあえて局名や個人名、DJネームもすべて伏せておく。
伝聞では伝わらない体験
俺は1995年の阪神淡路大震災のど真ん中で被災してしまったので、あの日を境に地元からは離れてしまった。だからそれ以降のミニFM事情は知らない。録音したテープも何もかもすべて失ってしまったので、情報は記憶の中にわずかしか残っていない。
だからこそ、あれは本当に夢だったんじゃないかと思うときがある(笑)
ひとつだけハッキリしていることは、あの頃のあの体験が、今でも自分のあらゆる要素に大きな影響を与えているということ。
どこかに当時の録音が残っているのならぜひ聞いてみたい。もしあの世界に生きていた人が、今もどこかにいるのであれば、こっそり話を聞いてみたい気はする。怖さ半分だけど(笑)
まだまだ書けることはあるし、なんか思い出せそうで思い出せない微妙な記憶もたくさんあるので、ひらめいた時にこの記事は随時リライトするかも。だからあえて未完のまま残しておく。